2008年5月26日 (月)

ヘムスロイド

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Dm  ヘムスロイド、、、うぅーんと思わず唸ってしまったのがこの言葉。
物知りとは言わないけれど、年相応のボキャブラリーはある積もりでいたけれど「ヘムスロイド」は初耳。
 ヘムスロイドとの出会いは、行きつけの日帰り温泉のフロントに置いてあったDMなんですが、DMにはこの言葉以外に「 ART GALLERY ヘムスロイド 2008」の説明があったので、そういった名前と関係のあるイベントが近々実施されるんだという大体の見当はついていたんですが。

 行ってきました「 ART GALLERY ヘムスロイド 2008」。
しかも5月24、25日の開催日、フル参加。
天候はあいにくの小雨模様でしたが、会場の「ことうヘムスロイド村」の緑はかえって輝きを増していたようです。
 さて問題のヘムスロイドとは、今、医療福祉面の充実度で日本国民を羨ませているスウェーデンの言葉。
 「Hantverk(ハントヴェルク)」が“手工芸”という意味。さらにそれをもう少し絞って刺繍や織物といった手芸品を「ヘムスロイド」と言うそうです(勿論又聞きです)。
 イベントは県内外から100人以上の工芸作家が参加し、陶器やガラス工芸作品の展示や販売が行われ、森の中はちょっとした芸術家村状態。
 冶金アートの方が起こす火だとかブース=テントの光景、足元の少しぬかるんだ土、時折聞こえる木笛、どちらかと言うとムーミン谷ですね。
 妻は古民家カフェ用のキャッシュ皿にと、ステンドグラス作家さんから木の葉がたのガラストレイを購入して満足げでした。
 ezouは密かに蛙ガーデンと名付けている古民家カフェの玄関裏の小さな庭に飾る陶製の置物(実際は一輪挿しなんですが)を購入。
こう言った作品は作者さんそのものが出るもの、沢山の作家さんが集まっている中で、自分のお気に入りを探せるのはかなりの贅沢。
 来年も楽しみにしています。
でも作家さん達、あんまり儲かっていない様子(笑)、あちこちで作家さん同士が楽しそうに交流されているので、このイベントそう言うものなかと思ってみたりしますが、これだけの規模ならもう少しメジャーになっていいような気がしました。
 少なくとも数ヶ月前に大阪在住だったezouにはまったくその存在を知らないイベントだったのですから。
 なので宣伝も兼ねて今回のエントリーは写真を多くアップしておきます。
楽しんで下さい。

Dscn1604  Dscn1600Dscn1647 Dscn1622 Dscn1681 Dscn1711 Dscn1634Dscn1665Dscn1719Dscn1718Dscn1717   

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2007年10月29日 (月)

街並み灯り路・五個荘

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 五個荘は、滋賀県の湖東平野の中部にあり、古くから中山道の要衝として栄えた土地だという。
 そして江戸時代に入ると俗に言う五個荘商人が台頭、天秤棒一本で大商人となった人々が築いた町並みの面影を、今でもこの町のいたるところで見ることができる。
 中でも金堂地区の白壁、土蔵、舟板塀が続く町並みは時が止まったようにも見え、そこにはなつかしい日本の風景がある。
 この五個荘で今年の9月に「街並み灯り路・五個荘」というイベントが実施された。近年、地方観光地の街並みライトアップはそう珍しくないものになって来たが、五個荘のように普段かなり静かな地域で、こういった催しが打たれるのには少なからぬ驚きがあった。
 駐車場が満杯になってしまうのを懸念して、日暮れ前に五個荘に入ったのだが、町の人々や関係者が慌ただしく直前準備に動き回る熱気が感じられて、かえって良かったかも知れない。しかし小径際に行灯を等間隔で並べていく事自体相当な手間だと思われた。
                                                        Dscn1328  又、街のライトアップだけに留まらず今回のイベントには様々な企画が催されていたようだ。
 例えば大きなお寺さんの構内に飾られた色鮮やかな抽象画がライトアップされ暮れなずんでいく商人町五個荘に不思議な異次元の窓を開けていたりとか。
 残夏の夕暮れの下、金堂通り等の催しのメインロードでは、灯籠に灯りが灯され着々と準備が終わりつつあり、地元の人達や観光客の表情に期待でほんのりと上気した色が見え始める。
 有名な鯉の泳ぐお堀際に三脚を立てて、ライトアップの完全実施を待って陣取っている沢山のアマチュアカメラマンの群、確かにここは絶好のロケーションだろう。

Dscn1361  日没までにはまだ少し時間があるようだったので夕食を摂ることにした。
 「めんめんたなか」は裏通り、五個荘という商人町が途切れて、滋賀という地方の田園風景が見え始める場所にある手打ちのうどん屋である。
 このうどん屋が位置する四つ角には時代劇でしかお目にかかれないような一メートルほどの行燈灯籠が立っていて、強烈な郷愁を誘っている。
 しばらく妻と二人で、自分たちの住む水中に墨をたらし込まれた金魚みたいな気分になりながら、人気のない五個荘の裏通りの町並みを眺めていた。
 確か、昔、我々の周囲にはこんな心を絞るような寂しい夕暮れ時があったんだと、暫く感傷に耽ってから重要文化財になっていそうな面構えのうどん屋に入った。
 旧家然とした座敷に案内されて膝をつき合わせながら二人で手打ちうどんを啜る。
 そしてファミレスの煌々とした照明とは正反対の陰影を持つ和室にくつろぐ。
暫くすると妻の肩越しに見える庭の灯籠に火が点った、、外はすっかり闇に覆われているのだろう。

 町内を流れる堀は天保川という名前らしい。中でも金堂町では、その堀の中に浮かべるようにフラワーデザインが設置され水中ライトによる幻想的なライティングが施されている。
 アートフラワーが水中からの光で自らの影を背後の白壁に落とす様は、ライトに凍り付いた花の色彩と相まって、観る者を幽玄の境地へ引き込んでくれる。
 さあこれから腰を据えて、ざっと下見をして置いたポイントを見て回ろうかと思い始めた途端、雨がぽつりぽつりと降り始めた。
 水面に雨粒が生み出す輪が暫く重なり広がって行ったかと思うと、やがて白濁した飛沫だけがその表面を覆いだす。
Dscn1354  天気予報では、雨とは一言もなかったので、にわか雨なのだろうが、それにしては、その勢いは本降りで空の様子はかなり重い。
 傘等、二人とも用意していなかったから、急いで退散した。
 残念な事は残念なのだが、それ程、口惜しくはなかった。
 9月の祭りに雨はつきもの。
 人の苦労も努力も、空模様の成すがままに、、そういった気分にさせる優しさがこの「街並み灯り路・五個荘」というイベントにあったからかも知れない。 












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2007年3月18日 (日)

湖東古民家カフェ三様

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 古民家を使用したカフェがマイブームである。最近の関西での動向と言えば「長屋」をリニューアルした大阪・空堀の「練」が注目だが、私、ezouが凝っているのは滋賀県は湖東地区に点在している古民家カフェだ。
 琵琶湖という淡海を中心に、遠くは戦国の時代から人々の豊かな営みがあったにも関わらず、今はどちらかと言うとひっそりと眠っているこの地域に「ときめき」の予兆を感じるからである。

Dscn0369  妻と「キュレルってどこや、どこにあるんや?」という感じの会話を車の中で交わしながら、辿り着いたのが東近江市五個荘にある「ナチュラルキッチン キュレル」。
 田舎の細い道の、とあるささやかな信号とささやかな交差点から脇道に入り込み、更に細い毛細血管みたいな村の中の路地を抜けていくとキュレルは「お洒落~っ」という感嘆を誘いながら出現する。
 こんな立地にあって(裏の駐車場も含めて)十台は入る駐車場はほぼ満杯状態。
 「マスコミの威力は大きいなぁ」キュレルを取り上げた雑誌を手に持ち車から降りながらezou、「みんな癒しを求めてるんよ」としたり顔の妻。
 キュレルは自然食カフェである。古民家を改装した建物の中で、雑穀米や無農薬栽培の野菜を使った惣菜メニューやケーキ・ハーブティーの提供をしてくれる。
 古民家と言っても茅葺き系のそれではなく、比較的現代的な家屋を改装したキュレルの内装は、お洒落であると同時にシンプルで素朴な佇まいを保持している。
 壁と柱が織りなす「白と葡萄茶」の色合いが、いかにも女性ウケしそうな感じ。古民家特有の太い柱と梁が、和製洋風の内装に馴染んでいるのが妙味だ。
 ezouはここのメインの「ヘルシーセット」を注文、おそらく地産物だろう野菜・根菜をふんだんに使ったディッシュはどれを食べても、ゴリゴリと自然を主張してて美味しい。
 中でもショウガを使ったスープは目から鱗って感じだ。でも毎日食べるとなると正直どうかなぁとも思う。それに田舎に住んでいる訳ではないのでなんとも言えないんだけど、ここ(自然たっぷりの五個荘)に住んでいたら自然食がデホルトで逆にファーストフードとかを食べたくなるんとちゃうの?とか思わなくもない。
 実際、各テーブルを占めているお客さんを観察してみるとほぼ観光客という感じだが、地元の人ってどんな感じでキュレルを利用してるのだろうか。

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 お次は、厳密には湖東とは呼べぬかも知れないが甲賀市にあるカフェ「マンマミーア!」。
 ここも先のキュレル程ではないがその所在を探し当てるのに若干苦労した。後で気が付いたのだがカーナビなどを使われるのであれば甲南第三小学校を目安に探されるのが良いと思う。
 その小学校近くの小高い岡の上に建つ古い農業学校の木造校舎を改築して、作られたのが「マンマミーア!」。
 車で坂道を上り「マンマミーア!」の前庭にある駐車場に行き着くためには相当厳しい切り返しをやらなければならないが、ここの地の利といい、旧木造校舎といい、なかなか趣きのあるもので「不便が便利」になった好例だろう。
 「マンマミーア!」は、木工作家であるご主人が手がける木工作品のギャラリーと奥様の手づくりスイーツが楽しめるお店でもある。
 広い店内に用意された席数はわずかだが、その「空間使い」の贅沢さこそこのカフェの良さの一つだろう。
 昔懐かしい木の床板、手塗りの白い壁、ご主人が作られた完成度の高い椅子、そして空間の美しさを意識した商売気の少ないギャラリーとおいしいスイーツ・・・まさに贅沢である。
 小高い丘の上からみおろす窓の外の田園風景を眺めながら時の経つのを忘れてゆっくりコーヒーを飲む。あるいは一枚板テーブルの存在感とその厚みに腕を預けながらケーキにフォークを入れる、、そんな楽しみが待っているカフェである。

 「マンマミーア!」が丘の上の立地ならこちらはお堀端に建てられた蔵を改造したカフェ、「茶楽」さん。
 ここの作り、一見、蔵のように見えるけれど実際は築160年は経つという材木倉庫を改装した建物だそうだ。
 近江八幡の観光名所である八幡堀端にある。
 当然、室内の壁に縦長に取られた窓からは八幡堀の水面が見える。
 「茶楽」では東方美人、金萓茶など、台湾のお茶がサービスされるのだけれど、ezouは飲む為に手順を必要とするものが苦手で、コーヒーを戴いたが、妻はその香りとともに茶を充分に堪能したようだった。
 八幡堀はTVの時代劇のロケにもよく使われる場所なのだが、一時はどぶ川のような有様で、ここまでの景観を取り戻すためには地元の人々の相当な努力があったそうだ。
 先の「マンマミーア!」の母体となった建築物も、店主さんの手が入るまでは相当な荒れようだったらしいが、素材が良ければ「空間」は生き返るものだとつくづく感じさせられる。
 「茶楽」にはロフトの様な2階がありこちらもかなり居心地がよさそうである。いずれまた寄ってみたいと思っている。

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 今回最後にご紹介するのは、滋賀県近江鉄道の水口駅北400mの場所にある「蔵四季」さん。
 蔵四季という店名も含めて、蔵の改造かと思える外観なのだが、入店してみるとそうではないことがよく判る。
 同じアンティーク指向でも和風ではなく、内装を含めて西洋風なニュアンスの方が勝っているお店のようだ。サービスに使われるカップとテーブルは完全に西洋・西洋風アンティークである。さりげなく目の前に出てきたカップが、ウェッジウッドだったりするところが面白い。
 外観のコンセプトは「倉敷」にあるとのこと。確かに滋賀周辺の「蔵」の建築様式よりは、見栄えとして「倉敷」のそれに近いようだ。
 注文が入ってから炭火焙煎コーヒーを入れてくれたり、オーナーこだわりの手作りケーキがあったりと、「昭和時代の喫茶店」の一頂点を思い出させてくれるカフェでもある。

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2006年11月28日 (火)

近江の国の再発見4 鯖街道72キロ

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 鯖街道72キロの旅。「敬老の日なんだから焼き鯖すしでも食べにいこう」ってノリで出発した。
 勿論、敬老の日と焼き鯖すしはなんの関係もない。
 鯖街道は若狭で獲れた鯖を京都に運ぶ街道で、今でも使ってみると良く判るが、距離的にも時間的にも効率の良いルートである。
 若狭湾で取れた鯖に一塩して京都まで運ぶと、ちょうど良い味になったといわれ、この鯖を運んだ道を特に鯖街道と呼称したそうだ。ただしこの呼称、結構最近のものらしく(一説には昭和54年発表のある小説からとも)色々な街道筋を含んでいる柔軟なものだ。
 この鯖が琵琶湖の反対側にある長浜では「鯖そうめん」に変身していることは「近江の国の再発見2 長浜の食」でも取り上げている。

 若狭が御食国と呼ばれた時代、若狭から京に続く街道は、いくつも存在したのだが、中でも多くの人達に利用されたのは、小浜~若狭町熊川~滋賀県朽木村~京都市出町柳に続く若狭街道である。
 私たち夫婦はこの鯖街道(若狭街道)を大阪から北上することになる。
 もっとも大阪からは、京都の入り口にたどり着くのが大変で、私はいつもバイパス経由で琵琶湖最南端の石山寺から入っていくことにしているのだが。
 この時期の南郷洗い関付近は、穏やかな感じで気持ちがいい。まるで琵琶湖の体温が伝わって来るようだ。大津に入ってみると、昔良く利用したリプトンの店がつぶれていたのが寂しかったが、現代では同じ場所に同じ店舗が在り続ける方が珍しいのだ。

 透明度の高い秋の日差しの中で落ち葉が舞い散る京都の街道道をひた走ること約2時間で小浜に到着。
 その小浜で、お目当ての焼き鯖すしを昼食として頂くことにする。実をいうと小浜名物の「鯖寿司」は、あの押しつぶした酢飯の食感が駄目で苦手な食べ物の一つだ。
 その点、後発の「焼き鯖すし」は、「天むす」みたいな食感でさっぱりして美味しいという評判に魅力を感じていた。
 しかし注文する直前、「さんま」の魅力に気持ちが負けて、焼き鯖すしを取りやめ「お勧めさんま定食」に変更、妻の非難を受けることとなった(笑)。
 結果、今年に入ってから2回目の秋刀魚の塩焼きを食べて大いに満足した上に、妻の注文した「焼き鯖すし」をつまみ食いして2重に満足した。
 食後は、いづみ町商店街の海産物や焼き鯖屋が並ぶ市場を冷やかして、すぐに次の目的地である熊川宿に移動する予定だったのだが、ここで偶然にも「放生会祭り」に出くわした。祇園祭のミニチュア版みたいな山車芸能や棒振り太鼓、獅子舞、神楽といった出し物を暫く見学させてもらった。
 祭りの運営が素人ぽくて、どれをとってもたどたどしいのがかえって可愛らしい感じがした。

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 「京は遠ても十八里」の中継点となったのが「鯖街道熊川宿」である。
 古い家並みを中心とした観光名所には幾つか訪れた事があるが、「熊川宿」は他の観光地とは、一線を引く特色ある家並みを有していた。
 街道に面して、多様な形式の建物が入り交じりながら建ち並んでいるところがそんな印象を与えるらしい。
 町屋の間に土蔵が建っていたり、町屋も「平入」と「妻入」の建物が混在したりと、全く形式の異なる建物が混在しながらも、連続性をもった町並みを形成していることが、熊川の町並みの特徴なのだ。
 この熊川宿の歴史的景観を一層引き立てているのが、水量が豊富で流れの速い、幅1mあまりの用水路「前川」である。
 熊川宿の上ノ町では、北川の上流から取水されたものが街道に沿って流れ河内川に落ち、中ノ町では河内川の水を取り入れて下ノ町へと流れる。
 この様に、水と密接な関係のある熊川宿では、家ごとに階段のような『かわと』で水面へ下り、『芋車』と呼ぶ里芋洗い器などを利用してきたようだ。今でもそんな光景が点在している。
 ここの名物は葛である。熊川宿の月屋さんで妻は葛餅の入った冷やし善哉を美味しそうに食べていたが私は葛切り、、最近、食のバイタリティが下がっているようだ。しかしここの葛切りはきしめんのようで面白かった。

 更に帰路の途中では、妻にねだられて鯖街道花折に立ち寄り「鯖すし」を食べるはめになった。
 しかしここの鯖すしは、京都の老舗の支店だけあって味も値段もゴージャスの一言につきる。
 鯖すしが苦手な私が分厚いのを二切れも食べた。もっともセットで注文した茗荷のおすましが京都らしい味付けで食が進んだコトが大きく影響していたのだが。

 坊村あたりの車の対向に肝を冷やしたものの、全般に快適な京都の山道をドライブしながら思ったのは、この国の「秋」の豊かさである。
 これほど豊かな国で何故、文化や社会がやせ細っていくのか不思議な事である。

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2006年11月26日 (日)

近江の国の再発見3 永源寺/紅葉

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 東近江市の永源寺には、以前、いわな料理を食べに杠葉尾町へ出かけた折りに、立ち寄った経過がある。永源寺は、愛知川渓谷にたたずむ臨済宗永源寺派の総本山である。
 渓谷の両岸や参道一帯にはモミジ・カエデが多く、紅葉の名所として名高いのだが、私たち夫婦が訪れた時にはまだ緑が濃い時期で、山門までの階段に汗ばんだ記憶がある。
 永源寺は、こんにゃく料理でも有名で、寺内の開山堂の近くには松尾芭蕉が詠った「こんにゃくのさしみもすこし梅の花 はせを」の句碑がある。

Dscn1410  年末の声が聞こえそうな11月末の土曜日に、この永源寺の紅葉を楽しむ機会を得た。鈴鹿の山々を源に琵琶湖へとそそぎ込む愛知川を八風街道で遡り、旦度橋(たんどばし)を渡れば永源寺の麓にある茶店や土産物屋にでる。
 参道の120段の石段を登りつめ、左の岩山に釈迦・文殊・普賢像と十六羅漢の石仏を見たところで山門である。
 前に緑濃かった山門は、今はもう紅葉で飾られている。
 更に葦(よし)の大屋根といわれ、国内屈指とされる屋根の立派な本堂に圧倒されながら、様々な様相の紅葉を見て回る。
 永源寺の紅葉の特徴は、その色合いの複雑さではないかと思う。深い輝くような紅一色の紅葉も美しいが、黄色や緑を含めて五色に秋空にゆれる様も又、楽しい。
 その紅葉が工夫の凝らされた禅寺の庭園空間の中の要所に配置されているところも見所だ。
 そういえば妻に勧められて、卒塔婆の形をした黒いお線香に祈願を込めて奉納したのもこの本堂である。正直に言って禅寺にはそぐわない気もした。
 
 永源寺の帰りには、蕎麦嫌いの私には珍しい事なのだが、地元の農事組合法人が運営している「やまあいの里」で「永源寺そば」を食べた。(通常は金曜日が定休日、12月~4月まで土・日・祭日のみ営業だという)
 この日は永源寺の紅葉見物帰りの客が多く、待ち時間が相当にあったのだが、隣接母体の「やまあいの里」で野菜や地元の特産品を冷やかしていたので、そうは気にならなかった。
 さて肝心の味の方だが、地元のそば粉と、永源寺の深山からの湧水を使用した手打ち、、確かにモチモチとした歯ごたえがあるのだが、残念ながら蕎麦の苦手な私には、これが「手打ち蕎麦」として美味しいのかどうかは判断が出来ない。
 こういった穴場的ロケーションの手打ち蕎麦に対して人はどうも判官贔屓のような気分が働くものだし、超個人的な体験で言えば蕎麦で本当に「美味い」と唸った店は松江・信州・南木曽での三軒しかない。
 むしろ「永源寺そば」の上に乗っていたマイタケの天ぷらの方が好みなのだが(笑)。
素人ぽい揚げ方なのだがマイタケ自体が異様に美味しい。

Dscn1441 かけそば 600円
山菜そば 650円
永源寺そば 750円
ざるそば 700円
おろしそば 700円
山かけそば 800円

 のラインアップ、妻は「美味しいけれどもう少し安くても」の評価。
 これも私には判断が出来ない。ほとんどの食材が地元で賄えることを考えると、原価から計算して、確かに少し高いのかも知れない。
 ところでどのメニューにも永源寺特産こんにゃくとまいたけの煮物がついている。
 永源寺こんにゃくは、最近のつくりものめいた均一のなめらかな弾力ではなく、「ざらついた」歯ごたえが旨い一品である。是非おためしあれ。

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2006年11月 4日 (土)

近江の国の再発見2 長浜の食

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 長浜は黒壁へ。数年前には黒壁と北国街道ぐらいしか主要観光スポットがなかったような街が、(海洋堂フィギュアミュージアムオープンも含めて)黒壁を環状の一部としながら地域が一体となり、今では立派な観光エリアを形成している。
 昔懐かしい町並みの保存も勿論だが、感響フリーマーケットガーデン等、街の中にポッカリ出現した雑木林みたいな面白い空間があちこちにあったりする。
 こんな街では郷土色豊かな美味しい食べ物にもありつく事が出来る。
 まず一番目に紹介するのは、長浜の定番、茂美志屋の「のっぺいうどん」。平らに言えば、ビッグサイズの煮染めしいたけが入った「しっぽくあんかけうどん」なのだが、讃岐うどんとかの腰の強い麺になれた舌には、この麺の味は頼りないかも知れない。
 ただ、舌にも郷愁というものがあるのなら、ここで味わえる味覚は、昔ながらの「大阪うどん」に通じる何かを思い出させるものがある筈だ。出汁の味を含めて食べて損はない。

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 次に紹介するのは黒壁スクウェアにある翼果楼さんで食する焼鯖そうめん。これは本当に美味しい。
 翼果楼さん自身、古い町屋を改造した店舗で、その面白さだけでも行数をさいて紹介したいところだが、まずは何を置いても焼鯖そうめんの美味さから、それだけの値打ちのある郷土料理だ。
 煮しめたような醤油黒いそうめんの束と煮つくして元の姿が判らぬ焼鯖、、これだけの見てくれだと、ただ辛い食べ物を想像してしまうが、そうめんにしても鯖にしても以外に喉越しがいい。白いご飯と一緒に食べるとこれはもう絶品である。
 「焼鯖そうめん」は、昔、湖北でお祭りの料理として出されていたもの。春の農繁期に嫁の実家から嫁ぎ先に焼鯖を持っていく「陣中見舞い」という湖北独特の習慣があったそうだ。
 忙しい中で我が娘が肩身の狭い思いをしていないか、栄養はきちんと摂れているのか、そんな親の思いやりが形になった食べ物が焼鯖と言える。
 これをそのまま酢醤油で食べてもおいしいのだが、長浜ではそこにひと手間加えて焼鯖そうめんを作ったのだとか。
 焼鯖そうめんは熱いものを食べても、なまあたたかいものを食べても、そして冷えたものもそれぞれ美味しく、特に一昔前までは田圃仕事の忙しい最中の知恵料理として重宝がられていたそうだ。
 確かにそうめんなのに汁がないのでこぼれないし栄養価も高そうだし、すぐ口にほうばれて美味しいとなれば、仕事の合間にはぴったりの食の形態と言えるだろう。
 鯖は福井県小浜で揚がった新鮮なものを使い、それを炭火でじっくり焼き、さらに2日かけて甘辛く煮込むという。
 器の中で形良く束ねられた細めのそうめんには、香ばしい焼鯖の煮汁がからみ、ご飯がすすむ。もちろんアルコールだってOKだが。
 呉服屋を改造した店舗は、生活の歴史を感じさせる焼き鯖そうめんを食べるにはぴったりの場所。そう、味は文化なのだ。

Dscn1200  焼鯖そうめんに限らず、食の文化はリニューアルしても生き残り、私たちの舌を楽しませてくれる事が多い。
 この日の昼下がりに立ち寄った黒壁スクエアの北東にあるカフェ叶匠壽庵では、あまりの残暑の厳しさ故、抹茶かき氷を注文した。
 持ってくるのがすごく遅くていらいらしたのだが、しかし出てきたものを食べて納得した。
 氷はふんわり粉雪状だし、小豆も固めてトッピングしてある部分と、氷の中に散在するように入れてある部分の二つがあって手が込んでいる。
 お値段もそれなりだけど、これほど作り込んだかき氷も珍しい、と思った。
 しかしカフェ叶匠壽庵って元から有名な洋・和菓子屋さんだったのだ。道理で、、失礼しました。
 それにしても「カフェ叶匠壽庵」さんの場合、その外装・内装が素晴らしい。先に紹介した翼果楼さんの旧町屋作りの店舗も味があるが、こちらは資本投下が凄いので(笑)店舗デザインとしてもずば抜けているのではないかと思う。
 約百年前に建てられた民家三軒を壁の珪藻土や柱、梁を生かした形で改築し、いすや机は七十~百年前のイギリス・フランス製の西洋アンティークで統一、、。
 明治時代に日本へ西洋文化が入ってきたころのモダンな雰囲気を再現し、ダウンライトでほんのり照らされた店内はどこか懐かしく心落ち着く空間、「空気の広さ」が生きている、正に和洋折衷。

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2006年10月16日 (月)

近江の国の再発見1 桜旅

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 時に心が酔いしれる程の満開の桜を見たいと思う事があって「桜の名所」を目指して旅をするのだが、その為に取った休暇と、一番見頃な桜の開花時期が必ずしも一致するものではない。
 今年の春は、総てが裏目に出て、名所に訪れた時期が総じて早すぎた。そんな外れ旅行の締めくくりが、滋賀は三井寺の夜桜だった。
 三井寺の夜桜を鑑賞する為だけに、琵琶湖湖畔の高層ホテルに予約を取っての一泊旅行だったのだが、見事に三分咲きの様相。
 けれどその代わり「近江の国」の再発見になったのがこの旅だった。

P1020687  ホテルの部屋からは琵琶湖が一望できるのだが、やはり琵琶湖は大きい、、ほぼ海の感覚である。
 この頃、NHK大河ドラマ「功名が辻」では、信長が浅井長政を自害に追いやった後日談ぐらいまで話が進んでいて、当時の勢力地図を考えると、琵琶湖はその周辺の土地に「豊かさ」と「強さ」を与え続けて来たのだと気付かされる。「僧の比叡山」も「公家の京都」も地勢として、琵琶湖に育まれているのだ。
 その京都と琵琶湖南端を結ぶ疎水の根っこの側にある三井寺が、この桜旅の最大ポイントだった。
 琵琶湖疎水とは、明治時代に琵琶湖の水を京都へ運ぶために造られた水路であり、山科から蹴上、南禅寺の水路閣へとつながって行き、水道や発電などに利用された。
 この疏水沿いには桜の名スポットが多い。しかし都市部では春も終わりかけようという時期に、こちらでは桜がまだ蕾が少し開きかけた程度。
 とりあえず寂しさの募る夜の桜木を眺めながら、疎水沿いに北上して三井寺に移動した。山頂に続く階段の足下には灯籠が仕掛けてあって、なかなかいい雰囲気なのだがやはりここでも、桜は三部咲きだった。

 翌日も桜を求めて琵琶湖の東岸を北上する。最初に立ち寄ったのが、これも又「功名が辻」で再びスポットが当たり初めている近江八幡。
 近江八幡のイメージは「水郷」である。川を観光船で回る水郷巡りは有名だろう。川面にしなだり落ちる桜も見てみたかったのだが、彦根に桜を見に行くまでのコーヒータイムとして近江八幡の日牟禮ビレッジに焦点を合わせていたのでそれは諦めた。
 まずは「かわらミュージアム」の駐車場に車を止めて同施設を見学。屋根瓦は戦国時代の武将達が着る鎧のように、色々なパーツが組み合わされているもので、それぞれに名称があったり、形状も微妙に違っていて、それ自体が一つの体系を持つ世界だという事がよく判った。
 さらに、この「かわらミュージアム」の非常口からは八幡堀の終点(?)に出ることが出来るので、これは便利だった。
 八幡堀脇の水際遊歩道を歩いて日牟禮八幡宮の入り口にある橋に上がり、日牟禮ビレッジに到着する、、これはなかなかに効率的なコースではないだろうか。
 八幡宮のロープウェイを奥に見ながら回りを見渡すと、神社の境内の中とはとても思えない赤煉瓦のお洒落な建物のクラブ・ハリエ日牟禮館がある。
 ドアを開けた途端に甘い香り、目の前にはケーキ工房と売場が展開されていて、目的のカフェはこれらの奥から入る事が出来る。
 すこし雑然とした印象のある庭とオープンテラスも魅力的だったが、外気が少し寒そうだったので屋内のテーブル席へ。椅子とかテーブルがしっかりたものが誂えてあるので相当にくつろげる。
 妻はここのメインである焼きたてのバームクーヘンと、期間限定の桜紅茶のセット、私は「ヌガーグラッセと温かいフレンチトーストの組み合わせ」を注文する。
 味は申し分ない。特に柔らかくてスポンジケーキみたいなバームクーヘンの食感は今まで食べてきたバームクーヘンのイメージを覆される。
 ここを出てから立ち寄ったのがクラブ・ハリエの真向かいにある町家造りの「日牟禮の舎」、通称・たねや。
 実を言うとクラブハリエの本家はこの和菓子のお店たねやである。たねやを核にして、洋菓子をメインに据えた日牟禮ビレッジが形成されているのだ。
 このたねや、和菓子自体の味は、各地の老舗のそれを特別に上回るものではないのだけれど、従業員さんの気合いと言うか接客の心構えが凄い。
 よく訓練されていると言うのか、マクドの接客が完成されたマニュアルなら、ここの接客はまさに「近江商人の心」、、それを体験する為だけでも買い物をする値打ちがあるように思えた。
 妻はこの日、偶然にも4月8日限定販売の花まつり・五泉(五色のねりきりをこしあんで包み薯蕷生地で巻き上げたもの)が買えて非常に喜んでいた。
 お昼前に近江八幡を後にして、彦根城へ。途中、観光客でごった返す水郷巡りの発着場を発見して、今度はたねやのぜんざいと水郷桜を必ず体験するぞと心に誓う。
 湖岸道路は、結構ニューカマーのお洒落なレストランやらがちらほらと発見出来て、琵琶湖東岸の今後の可能性を少し感じた。
 辿り着いた彦根城の桜はやはり予想通り、大半がつぼみのまま、その代わり城内の梅林が満開という状況だった。 これは琵琶湖を北上しているのだから仕方のない事で、この頃には自分の気持ちの中でも、花見から彦根城中濠にかかる京橋から南へ伸びる夢京橋キャッスルロードに観光の主眼が移っていた。
 キャッスルロードを訪れたのはこの日が初めてで、すべての建物が、切妻屋根と白壁、格子戸などモノトーンに統一され江戸時代の町屋風店舗が軒を並べている姿に、気合いの入った町興しパワーを感じることが出来て、好感が持てた。
 かなり遅くなった昼食は、このキャッスルロードにある「あゆの店きむら」で、干し鮎でだしをとったあゆ雑炊と鮎の塩焼をいただいた。見てくれに反して骨張ったところなど微塵もなくとても美味しい。
 これも又、琵琶湖の恵みなのである。

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