鬼太鼓座
過日、鬼太鼓座の演奏を聞く機会があって、祝い太鼓をメインに日本文化の現在進行形の一端を堪能させて貰った。
鬼太鼓座の名前自体は有名なので、その存在も映像や音もある程度は知っていたが、ライブで観賞するのは今回が初めての経験。
ステージは、大きな櫓のトップに大太鼓、中段に大中様々な太鼓が仕掛けてあって、暗い会場にスポットライトの多用、高さとボリュームのある上手いショーアップだなぁと思わせるのだがよく考えると、この形式、「盆踊り」の櫓そのものである。
賢いと言うか、人の考えること感じることは昔から同じなのだろう。
時代の推移で違って来るのは「出来ること」が増えたり、アレンジの幅が広がるということだろうが、現代はその自由度の広さ故に、価値観を含めて色々なものが混濁していくマイナス面も出て来ることだろう。
鬼太鼓座にしても、その活動が評価されたのは日本の古い芸能が持つピュアさ故なのだろうが、それが世界に通用するためには多種多様な価値観や他の文化も取り入れる必要があったろうから、矛盾を含みつつの「現在進行形」なのかも知れない。
演奏自体は、会場が広かった為に、太鼓の音はマイクで拾われ大味に増幅されているし、先にも書いたがメディアに何度も取り上げられている鬼太鼓座だけに既知感も強く、新鮮なショックを味わうというワケにはいかなかった。
やはり太鼓はその間近で叩く者の身体の躍動や体温や汗を感じ、太鼓の皮が響かせる空気の振動を感じてナンボのものかも知れない。
(もちろんそんな座席に座れていればこんな感想は書かなくてすむのだが)
ただ吃驚したのは、バチの先端がばら鞭のような形状になったもので太鼓の面に打ち下ろすような演奏があって、これがジャズ(ブラシ)ドラムのようであったことだ。
これには会場全体からホゥという驚きの混じった反応があった。
リズムへの親近感という点ではジャズドラムも和太鼓も今の日本人には大差がないというか、和洋ポップスに慣れ親しんだ世代が多くなった今では和太鼓のリズムの方が異端であり、それ故の驚きであったかも知れない。
写真は蕗の薹、食材として見かけるものは、この蕾の状態のもの。
古民家の裏で妻がしつらえている庭に二つほど緑鮮やかにその顔を覗かせている。
この庭には先代の持ち主が色々な植物をランダムに植えられていたようで、毎日、新しい発見があって面白い。
くわえて庭自体が放置されていた期間が数年あったわけで、それを考えると改めて自生植物の強さを感じさせてくれる春先の芽吹きでもある。
地上では季節の移り変わりでその姿を変えても地下では根を張り命を蓄えやがてくる春には芽吹く、、そんな文化や表現が本物なのかも知れない。
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