「笑顔ふれあいチンチン電車」
刃こぼれを起こした中華包丁を研ぎ直して貰うために、散歩も兼ねて堺に出かけた。ezouの住む町から堺に出るには様々なルートがあるが、最後のアクセスに阪堺線を使うルートにした。
阪堺線はezouの生まれ故郷を縦貫していることもあって、久しぶりに想い出に浸ってみるのもいいかと考えたからである。
天王寺の近鉄百貨店前を始発にして堺方面に向かう一両編成の路面電車の車内には「笑顔ふれあいチンチン電車」の広告が、、、勿論、数十年前の広告にはこんなものはなかった。
地元住民にとって阪堺線をチンチン電車と呼ぶのは極めて当たり前のことだったけれど、当の阪堺電気軌道株式会社自体は、自らをある種の安価さとノスタルジーを込めながら「チンチン電車」と自称するには、まだまだ抵抗があった筈なのである。
今となっては阪堺線は、自ら名乗るとおり頭の天辺から爪先まで「笑顔ふれあいチンチン電車」である。
秋の日差しが差し込む車両に揺られながら車窓から見える街並みや、バス停に毛が生えた程度の通過駅を眺める。
東天下茶屋駅、駅の端には幼い頃に不思議な名だと思った「馬道」の字が刻まれた石のモニュメントがまだあった。
ぐっと懐かしさがこみ上げてきて文字通り涙が出そうになる。駅の直ぐ側にある今にも壊れそうな昭和初期の木造家屋も記憶の片隅に引っかかっている。まだ壊れていない!!ちょとした衝撃だった。
昔のチンチン電車には、操舵席のような運転ボードが前後にあり、空いている方でよく遊んだものだが、今、自分の乗っている車両にはそれがない。こんなチンチン電車にさえ、様変わりがあるというのに、、、。
壊れやすいしもたやが数十年間も立て替えも増築も行われていないのだ。
変わらないと言えば当たり前だが駅の名前もそうだ。駅名は記憶をつなぎ止めるアンカー代わりとして有り難い。
小さい頃に遊んだ記憶と駅名が密接に繋がっている。親戚の家、お正月には必ず参った住吉さん、母に連れていって貰った浜寺公園、記憶に沈んだものが次々と浮かび上がってくる。
大和川の駅を通過して驚く、この駅はこんなに川に近かったのか、、。実際、川の土手に唐突に出現する小さな壁と庇のみの駅は珍しいものだと思う。
大和川は名前の割にはけちくさく、大きいくせに自然の一欠片もない川で、過去には何度も汚染度ナンバー1に輝いたことがある。でも初めてオタマジャクシを自分の手のひらで掬ったのはこの川だった。
二十分程の乗車が終わる頃「顔なじみ今日も乗ってる阪堺電車」の広告を見ながら愛称であるチンチンの意味を考えてみた。
降車を知らせる車内ベルを押すとチンチンとなるからか、遙か昔の記憶では路面の車への警報とかそんなものにもチンチンを使っていたような記憶があるのだが、、定かではない。
包丁店のある「綾ノ駅」はezouの子どもの頃のなじみ深い記憶と土地との関係が途切れる場所だ。
これより先の天皇御陵等は「旅行先」だったように思う。
中華包丁の研ぎ上がりに満足して、包丁店を出た頃が丁度、昼飯前だったので「飯」が旨いと評判の「げこ亭」へ向かった。
ネットでの下調べによるとげこ亭の店舗は、道路際の本店舗と、調理場に併設された小振り店舗の2軒あるそうなので、道路から奥まった方へ足を延ばしてみた。
本店舗の場所は看板が凄いので迷うことは絶対にないだろう。(チンチン電車の車窓からもしっかり見える)本店舗の面構えが、いかにも回転の速い大衆食堂然としていたので、ゆっくり腰を落ち着けようと奥まった店を選んだのだが、誰も客はおらず、調理場で働いていた少年が顔を覗かせてくれて、丁寧に本店舗の場所を教えてくれた。
どうやら2軒目は1軒目が満杯になった時点で稼働するようだった。
本店に戻ってアルミ戸を引いて中を見渡すと、かなり広い。と同時に懐かしさで胸が一杯になる。
そこには昔、どの街にもあった一膳飯屋の面影が、、ただしその面影は、店の大きさに合わせてWサイズなのだけれど。
おかずが冷蔵ケースに棚置きされているのではなくて、大きなテーブルに平置きされているのには少し驚く。
そのテーブルから、噂の「飯」の旨さを確認するために、天麩羅盛り合わせ・出汁巻き卵・大根下ろしをチョイスし、最後におばちゃんにわかめ味噌汁と中飯を注文する。
箸を味噌汁に浸けながら店内の様子を見ていると先ほど入った小食堂で案内をしてくれたお兄ちゃんが大きなおひつを持って来たのが見える。
調理場で飯の炊飯一筋というご主人が炊きあげたものなのだろう。
飯は「うーん」と涙が出るほど旨いという訳ではないが、定食屋の飯としてはすこぶる上等だ。何か生意気な言いぐさだが、これが正直な感想である。
最近の我が家の「飯」事情は、炊飯技術も米も極めてよく、そういう自分の「舌」の差があるのかも知れない。
それだとか、竈炊を売りにしている定食屋が結構多くなっていると状況もは手伝っていることも上げられる。
出汁巻きが旨かったが、これも料亭で出されるようなレベルではない、、でも定食屋さんなんだからあたりまえか。
なまじっかマスコミ・口こみで有名だと「なんでも飛び抜けて旨い」という妙な幻想が生まれるので、一番迷惑しているのは当のげこ亭さんかも知れない。
昼食を戴きながらしみじみ染み思ったのは、昔の家庭(昭和中期)ならコレぐらいの味のレベルは普通だったのではないかということだ。
それぐらい人々の間に、料理を作る知恵や技術が広く定着していたという事だ。
今の子ども達の大半の「手料理体験」は学校給食によって支えられているのではないかとさえ思う。
米を洗いなさいと言われて洗剤で米を洗った若いお母さんの話は、笑い話でもなんでもなく、私たちの生活に浸透しつつあるのだ。
一方、ハイレベルの中華料理の味が、レトルトパックに封入され、各家庭ではそれを買ってきた材料と共に鍋の中で炒め合わせるだけで、それが戴ける時代に突入した。
村上龍が言った「なんでもあるのに、なんにもない国」が「食」という生命レベルの営みにまで浸透しつつあるということだろうか。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)






最近のコメント