「辺境・近境」をウィスキーを飲むように読む
「辺境・近境」をウィスキーを飲むように読む
今、村上春樹氏の「辺境・近境」を読み始めている。私はよほどの分厚い本でない限り、一気読みをする質なのだが、この文庫本についてはその内容を、じっくりとちびちびと味わいながら楽しんでいる。
今日、読み始めたのは「神戸まで歩く」だ。私は神戸が大好きで、村上春樹氏の故郷が実は「神戸」であると言うことをこの本で知ってちょっと嬉しくなった。
また氏の文章の中に阪神大震災が神戸に残した爪痕の記述があって、私自身も震災直後に訪れた「神戸」の風景に同じ様な思いを抱いていたので、その感性の近さに吃驚した。
もっとも私には、氏が感じているような、大震災とオウム事件の連鎖は見えないのだけれど。
・・まあ今日はこれぐらいで勘弁してやるかとページを捲る指先を止めかけたのだけれど、美味しいお酒が後を引くのと同じで、ついつい他の短編を読んでしまう。
「無人島・からす島の秘密」と「讃岐・超ディープうどん紀行」の二編だ。
私の四国うどん巡礼の旅の引き金は、実を言うと村上春樹のエッセイ文なのだが、その原文が、この「辺境・近境」にあった事は今日始めて知った。
しかし讃岐うどんの小麦粉がオーストラリア産のものだったとはちょっとショックだ。
四国は香川、、讃岐富士の麓、手打ちうどんの中村屋をめざし、わざわざ「一杯のかけそば」ならぬ一杯のセルフサービスの讃岐うどんを食べる為に丸亀市内の某ホテルに泊まった身としては、その程度のぼやきは許してもらえるだろう。
その日は、秋晴れの下、おんぼろツーシーターのマイカーを駆って、Webリサーチしておいた情報を元に幻の「中村屋」を探して約二時間のドライブ。
村上春樹氏の怨念が増幅されているのか、かの中村屋の経営ポリシーが徹底しているのか、、情報たって、、オハヨー牛乳の看板を見つけたらだの、、製材所の向かいのプレハブみたいなだの、、ロールプレイングゲームなみだし。
ナビなら電話番号と住所があれば一発の筈が、、、。
半分泣きが入った頃に、端切れの情報から集めたそれらしい符号が一致する場所に出くわした時には「私の旅は無駄ではなかった。」と顔の筋肉がとめどもなく緩むのであった。
しかし午前十時に行列が出来ているわ「中村屋臨時駐車場」があるわ、中村屋は秘境ではなかったのか、、複雑な気分だった。
有り難いうどんの配給を待つ為に、戸口近くで並んでいると、目の前でトッピングのネギがどんどん無くなっていく。作業台みたいなテーブルの下には畑から抜いて来たばかりのネギが。噂通りだ。なくなったら自分できざめって事か。
しかし2・3人前のお姉さんが手早くそれを切って追加したネギをゲットすることが出来たので包丁を握らずにすむ。トッピング2は竹輪の天ぷらを選ぶ。
で食後の感想だが、だし汁だけなら「灸まんうどん」の方が美味かも知れない。
でも満足なのだ。「一つの事を成し遂げた」達成感が、澄み切った秋の空気に包まれて、、とっても幸せな気分になった。
(補正、多分平成17年現在ではこの中村屋さん電話番号も住所もフルオープンの筈)
村上春樹氏の「辺境・近境」の続きを読む。今日は「メキシコ大旅行」を読み終わった。ジョニー・デップの「レジェンド・オブ・メキシコ」を少しだけ思い出す。
アメリカから見えるメキシコっていつもあんな感じなんだろうか。(監督がロバート・ロドリゲスだからメキシカンティストを出せるのは当たり前と言えば当たり前だけど、、ついでにデップは、どこまでもお茶目で可愛い。)
でも村上春樹氏が描写するメキシコと映画とがそう変わらないのですこし吃驚した。
それと今回、私が何故、村上春樹作品を好むのか、なんとなく判ったような気がした。
確かに村上春樹作品にはミーハーのちょっとお洒落なアクセサリーになるような格好良さがあるのだが、それ以上に、氏は人のリアルな感受性という部分に拘って文章を書くので、氏の感性に近い人はどんどん氏の作品が好きになっていくのだろうと思う。
「辺境・近境」は旅の本だから、氏の旅の捉え方とか人の見え方なんかが凄くはっきり見えて「あーそれ同感」って感じる部分が随所にある。
それ以外に、メキシコの旅の後半「共同の夢を見る人々」を読んでいて、ああ、こういう見方をするから「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」が書けるんだろうなと、気付いてみたりした一日でもあった。
今日は「ノモンハンの鉄の墓場」。私の好きな『ねじまき鳥クロニクル』の背景であるノモンハンに村上氏が直接出向いた紀行文である。
氏のガイド役のモンゴル人チョグマントラが荒野をドライブしている途中で、突然自動小銃に実弾をセットして荒野の狼雌の狼を撃ち殺す場面がなんとも言えない。
射殺される前に動物が見せる視線の表情には、単に死に硬直した感情以上のものがくみ取れた筈だ。
『ねじまき鳥クロニクル』に登場する「暗い穴」のイメージが単なる創作上の文学的な比喩ではなく、村上春樹の生理の中にあることを確認した。
いよいよちびちびと読んできた「辺境・近境」のお楽しみも今日で終わり。今日は「アメリカ大陸を横断しよう」だ。これは他の短編と比べて一番薄味。
と言うことで今日は、村上春樹氏がなんとかという内容ではなく、自分自身がアメリカについて思いついたことを徒然に書いておこうと思う。
これはイラク戦争が始まりかけた頃に考えていたことだが、アメリカという国は「空虚でクールな正直者の精神病患者」を思わせるところがある。
と言っても、一度もアメリカに行ったことがない私が書くことだからなんの裏付けもないのだが。
ハリウッド産の映画を何本か見たりミステリーを何作か読んだりする中で「アメリカ」の肌触りを分析しているだけのこと。
古くは「イージーライダー」「真夜中のカーボーイ」「スケア・クロウ」etc、、結構アメリカを語る映画には事欠きませんからね。
アメリカを語るとき、何故か、古株ではロバート・ランカスター主演の「泳ぐ人」と、やや最近のもので「ストレート・ストーリー」が印象に残っている。
特に「ストレート・ストーリー」は、村上氏の「アメリカ大陸を横断しよう」を読んでいる時に、何度も映画のシーンが脳裏を掠めた作品でもある。
とにかくアメリカという国は無駄に、、いや豊潤な癖に空虚な国という印象がある。
これは何も地勢的な要素だけではなくて、そこに発生する文化・文明も良く似た傾向があるのではないかと思ったりする。
そう、余りにも「豊かで空虚」だから他のものを征服したくなるのだろう。そして自分を満たそうとする。
けれどアメリカが抱えている病理を解決する為の根本は、そんな所にはありはしないから、決してその飢えは満たされることはなく、痛い目に遭っても性懲りもなく人のモノに手を出そうとするのだろう。・・まあそんな感じだ。
PS 万が一にも「泳ぐ人」を見てやろうかなんて酔狂な気持ちを起こす方がおられると、申し訳ないので言っておきますが、この映画、見終わってから凄く情けな~い気持ちになります。
(特にアメリカに幻想を抱いている人)こんな映画が撮られたのもアメリカン・ニュー・シネマと呼ばれたムーブメントを生み出したアメリカにしては珍しく内省的な時代背景があったんですねぇ。
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投稿: ニンキブログ | 2006年12月28日 (木) 17時34分