2009年4月16日 (木)

月にむら雲、花に嵐、

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Dscn3030  近江八幡の八幡堀にある桜も、八幡まつりを迎える四月中頃には花吹雪を起こして緑に切り替わる。
 気候は暑くもなく寒くもなく、満開の桜が続く堀端の石畳を歩いていると、まさに花酔い気分。
 悲しいような優しいような、不思議な気持ちになる。
 この一瞬を切り取ろうとシャッターを押そうとする手の甲に舞い落ちるひとひらの花びらの重さ。
 重くもなく軽くもなく、、。

 ある漢詩を「花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」と名コピーに変換したのが井伏鱒二。
 その他、昔から叶えられない願いの喩えには、「月にむら雲、花に嵐、思うに別れ、思わぬに添う」、、みたいなのもある。

 季節はやがて初夏へ。

今朝、ご近所さんから妻がタケノコを戴きました。

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2009年4月11日 (土)

燕と淡海

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ツバメ飛ぶ 淡海抱く 伊吹山

 久しぶりのブログ更新、その冒頭に、小学生みたいな俳句で申し訳ありません。
 ドライブ中の「さざなみ街道」で、ツバメが飛びまくって車のフロントに激突しそうになったこと、陽光きらめく琵琶湖の水面や、春霞にけぶる山々、そして道ばたに咲くには黄色がきつすぎる菜の花、遠くにあるのに近すぎる伊吹山の姿を並べただけって感じですね。
 過日、彦根方面へ食材の仕入れのついでに長浜まで足を伸ばしたのですがその時に思いついた句です。

伊吹山と言えば藤原実方朝臣に

かくとだにえやは伊吹のさしも草
  さしも知らじな燃ゆる思ひを

 というものがありますね。

「こんなにも君を愛している、とだけでも言えればいいのだけれど、とても言えない。まるで伊吹山のもぐさを焼いたようにくすぶっている私の心をきっと君は知らない。」みたいな。
 しかし(伊吹山のもぐさ)はどうかと思うぞ、せっかくロマンチックなのに。

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 この伊吹山を右手に見ながら湖岸を彦根から暫く走っていくと、豊公園。
 春の豊公園といえば桜です。
 この日で五分咲きでしたが、最近気温が異様に高く、桜が満開になるのは直ぐのことでしょうね。
 琵琶湖に隣接する豊公園、ここでは湖岸を歩きながら桜を眺めることが出来ます。ezouの勘違いかも知れませんが、海の間際で桜の開花が楽しめるロケーションは数少ないのではないかと思います。
 もっとも琵琶湖は「海にしか見えない湖」ですが。

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PS 今日の写真のおまけは、桜尽くしと言うことで、長浜大通寺の参道につながる小径にある橋から見た光景です。
 ここはかなりのお気に入りの場所で、長浜に来る度に撮影していますが、桜が咲いているのを見るのは今回が初めて。
 橋の近くに、この地の伝承である「お花きつね」のイラスト入りの看板があります。「お花きつね」の話は何れまた。あっそうそう慧蔵にも「お花きつね」の人形が一体飾ってあります。

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2008年8月16日 (土)

カフェ&ギャラリー慧蔵

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カフェ&ギャラリー慧蔵 2008年8月末吉日オープン

慧蔵 [ 洋食 ] - Yahoo!グルメ

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2008年7月20日 (日)

トマティージョ

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Hi390058  古民家カフェの玄関裏にある蛙ランド(横長の坪庭なんですが)の手水石に、生き物を入れたくて、何度か試みて来たのですが、その度に挫折。
 かろうじて、裏庭の防火用水井戸で野生化しためだかを移植したものが一匹、一冬を越したのみという実態です。
 で、性懲りもなく尾の長いコメットを一匹入れてみました。
 後ろ姿が、半熟トマトを割ったときのような赤身と、へたの白い部分が混じっているように見えるのが気に入っていて心密かに「トマティージョ」と名付けていました。
 そうそう、トマティージョはメキシコの食材でグリーン・トマトのことですから、全身が赤く、尾鰭の付け根に三方に開いた白い筋を持つこのコメットとは、色味がまったく違いますが、「トマトみたいな一風変わった奴」と言うニュアンスの命名です。
 と言うか、心の中でそう名付けていて人前で口に出す訳ではないのでまったく混乱はありません(笑)。
 このトマテージョが、手水石に入れて一週間後の猛暑日に水面に浮かんで死んでいました。

 入れてから先住民のめだかと仲良く連れ添って泳ぎ(と言うか、一方的にめだかの片思い)なんの過不足もなく元気に過ごしていたので、この死はかなりのショックでした。
 一昨年度、我が家で家族同様に飼っていた高齢のラブラドールレトリーバーが息を引き取った時も、「そこにいるべきもの」が無に返る、あのなんとも言えないショックを味わいましたが、それに近い感覚でした。
 「金魚」ごときでと思われるかも知れませんが、確かに自分の生活を振り返ってみるとこの死は「金魚ごとき」であり、本当に些細なことなのですが。
 日々の様々な思いと重なった上での「だからこそ」の悲しみなのかも知れませんね。
 とにかく、水という生活空間をこちらが勝手に動かした上での死だという部分がこたえます。
 自分にとって生きていけない環境なら逃げ出してくれればいいのですが、金魚には無理な話。

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 梅雨入り前に、玄関を開け放していた時期があって、ツバメがしきりと入って来て「ツバメが巣を作る家は幸運が訪れる」みたいな言い伝えを思い出し、我が家もツバメにとって安心できる環境があるのかと悦に入っていたのですが、「飲食の空間」にツバメの巣は無理と判断して、泣く泣く戸を閉め切っていたら、場所を変えたようです。賢いですね。
 生き物を飼う時の話だけではなく「状況を判断し状況を変える、それが無理なら自分が変わる」・・人間の間でも、相手と自分に、そういう能力があれば、トラブルは少なくてすむだろうと思います。でもまあこれは理想論ですね。

Dscn2166  理想と現実の差の話ではないですが、先日、厨房のグリーストラップの掃除をしました。
 厨房自体がまだ完全稼働している訳ではないので、それほど強烈な汚れもなく小一時間ほど作業でしたが、自分が調理したものの残骸が、こういうヘドロ状の姿になって突きつけられると「ものを作る」意味とか「食」の意味を改めて考えさせられます。
 人が「清」と「濁」をその身体一つに合わせ持って生きているのは「食事と排泄」の関係を考えると非常にわかりやすいのですが、人はついつい「清」の方に意識を向けてしまいがちですね。
 自分の中に「濁」があることを忘れてしまうか、伏せてしまう傾向がある。
 調理などをしていても、半加工品などの食材を扱っていると「食」が、おそろしくスマートで完全無菌な世界に見えてしまうことがあります。
 生きた魚とか、鶏をさばく所からやって、しかもその後始末を最後までやって、やっと本来の「食」の姿が見えてくる。
 グリーストラップの清掃も勿論その「食」の一部ですが。
 今、日本は「食料自給率」の課題で逃げられない所まで来てしまいましたが、国自体が巨大な「輸入」というコンビニから「食」を買い求め続けて来たスタンスを、振り返ってみる時期が来たのかも知れませんね。

 今日は柄にもなく「考えて」しまった話でした。
 そうそう、今日の話に出てきた駐車場兼裏庭にある防火用水井戸に植え込んだ蓮の花が咲こうとしています。
 蓮の場合、花が豪華ですが、蕾も可憐というか、何か神秘的ですね。
 古民家カフェのオープン時にはもう咲いていないでしょうから、咲きましたら画像だけでもこのブログにアップして置きたいと思います。

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2008年7月10日 (木)

桐座布団

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Dscn2041  先日、岩本清商店に依頼していた桐座布団を取りに行く為に金沢に出向きました。
 当初はわざわざ商品を自ら送り届けて下さるとの事でしたが、こちら側に金沢で行きつけの骨董店で、自店のテーブルに使うための蔵戸を見積る予定があり、それならばと出向いた訳です、
 その日は幸運な事に、加賀百石祭のイベントの一つである灯籠流しに重なって思わぬプラスアルファがありした。
 灯籠流しは金沢市中心部を挟む形で流れている二つの川、犀川と浅野川の内の一つ、犀川大橋付近で実施され、夕暮れ時からライトアップされた大橋のシルエットが綺麗に見える頃に、川面を流れる灯籠の美しさを堪能させて戴きました、
 この灯籠流し、加賀友禅をイメージしたイベントのようですが、セレモニーのスピーチの中には何度も「金沢が誇る文化」が繰り返され、地元の方の加賀友禅に対する誇りのようなものを感じました。
 実際、九谷焼・輪島塗・加賀友禅・山中漆器や和菓子などに見られる金沢文化の華麗さと洗練の程良いバランスには、その背後にある時代の厚みを感じさせられます。

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 そして今回、お世話になった岩本清商店は金沢桐工芸の伝承店でもあります。
 金沢桐工芸は、全国に類を見ない独自なもので、雪国なればこその良質の桐材と、ろくろ木地師の技、加賀蒔絵の伝統が、その基礎を支えているそうです。
 そのルーツは古く、江戸から昭和初期まで、暖房の実用調度として多くの利点を持っていた桐火鉢より発祥し、1988年1月21日には、石川県指定伝統工芸品に認定されたとの事。
 今回、ezouが購入させて戴いた桐座布団は、そんな金沢桐工芸から産れたアイデア家具です、、、と書くとやけに高尚そうですが、実物は、結構迫力があって、しかも可愛らしさも併せ持つ手触りの良い生活家具に仕上がっています。
 8月末オープン予定の古民家カフェには十二ほど、この桐座布団をご用意していますので是非、その座り心地を試して下さい。
 (ezouは腰を痛めてから畳の上に座る生活がかなり苦しくなって来ていますが、この桐座布団、そんな身体にもかなり楽です。)
 桐工芸というと桐箪笥を思い起こされる方が多いと思います。最近ではどういう流通なのかホームセンターなどでも安価な桐製の整理箱が手に入ったりしますね。
 桐自体は九州の大川、広島の府中、新潟の加茂、福島の会津など、名産地はいくつもあるそうです。
Chair_pic_03_02_l  しかし金沢桐工芸は、桐箪笥に多く見られるような白木ではなく、表面を焼いて磨いた独特の焼肌をもつもので、桐座布団もその焼き肌を持っています。
 焼桐の肌は見ためにも優美であり、柔らかなあたたかみがあります。
それにこの桐座布団、見たときには迫力を感じさせるほどのボリュームがあるのに非常に軽く持ち運びしやすいのです。、
 桐火鉢は昔から春・夏に木地を作って乾燥させ、秋に仕上げ、冬に完成品として売る、という商いのサイクルを持っていたようですが、ezouがこの桐座布団を入手したのも、おおよそ、予約から始まって一年後のことでした。

 ちなみに岩本清商店さんのご紹介ですが、お店は金沢駅近くにあります。
 小道をちょっと入り込んだ住宅街に工場を併設されていて、お店の門構えにはアンティークな「桐火鉢」と書いてある看板が掲げられています。
 でも観光のついでに立ち寄られるなら、お店の近くにある横安江町商店街内のにある直売店「岩本工房」の方が商品も見ることが出来て具合がいいでしょうね。
 近くには金沢手ぬぐいのお店があったり結構楽しいと思います。

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2008年5月26日 (月)

ヘムスロイド

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Dm  ヘムスロイド、、、うぅーんと思わず唸ってしまったのがこの言葉。
物知りとは言わないけれど、年相応のボキャブラリーはある積もりでいたけれど「ヘムスロイド」は初耳。
 ヘムスロイドとの出会いは、行きつけの日帰り温泉のフロントに置いてあったDMなんですが、DMにはこの言葉以外に「 ART GALLERY ヘムスロイド 2008」の説明があったので、そういった名前と関係のあるイベントが近々実施されるんだという大体の見当はついていたんですが。

 行ってきました「 ART GALLERY ヘムスロイド 2008」。
しかも5月24、25日の開催日、フル参加。
天候はあいにくの小雨模様でしたが、会場の「ことうヘムスロイド村」の緑はかえって輝きを増していたようです。
 さて問題のヘムスロイドとは、今、医療福祉面の充実度で日本国民を羨ませているスウェーデンの言葉。
 「Hantverk(ハントヴェルク)」が“手工芸”という意味。さらにそれをもう少し絞って刺繍や織物といった手芸品を「ヘムスロイド」と言うそうです(勿論又聞きです)。
 イベントは県内外から100人以上の工芸作家が参加し、陶器やガラス工芸作品の展示や販売が行われ、森の中はちょっとした芸術家村状態。
 冶金アートの方が起こす火だとかブース=テントの光景、足元の少しぬかるんだ土、時折聞こえる木笛、どちらかと言うとムーミン谷ですね。
 妻は古民家カフェ用のキャッシュ皿にと、ステンドグラス作家さんから木の葉がたのガラストレイを購入して満足げでした。
 ezouは密かに蛙ガーデンと名付けている古民家カフェの玄関裏の小さな庭に飾る陶製の置物(実際は一輪挿しなんですが)を購入。
こう言った作品は作者さんそのものが出るもの、沢山の作家さんが集まっている中で、自分のお気に入りを探せるのはかなりの贅沢。
 来年も楽しみにしています。
でも作家さん達、あんまり儲かっていない様子(笑)、あちこちで作家さん同士が楽しそうに交流されているので、このイベントそう言うものなかと思ってみたりしますが、これだけの規模ならもう少しメジャーになっていいような気がしました。
 少なくとも数ヶ月前に大阪在住だったezouにはまったくその存在を知らないイベントだったのですから。
 なので宣伝も兼ねて今回のエントリーは写真を多くアップしておきます。
楽しんで下さい。

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2008年5月 9日 (金)

新旧

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Dscn1527  ここ東近江ではゴールデンウィークに前後して、田圃に水が張られ、田植えの真っ最中。
 古民家カフェ慧蔵の改装工事も厨房中心にピッチがあがって来ています。

 所で、ezouが大阪での古民家カフェの参考にしていた 「煉」が5周年を向かえたそうです。
 「練」は、長堀鶴見緑地線の「松屋町」駅を下車して③番出口から地上に出て、右を見ると、すぐに階段のある坂道があり、その正面に見えて来ます。    「マッチャマチ駅から徒歩1分。」って奴ですね。
  あっ、マッチャマチとは地元の呼び方で地下鉄のアナウンスでは「まつやまち」です。
 大阪人の年輩者なら「マッチャマチのお人形、人形筋のマッチャマチ」というフレーズがしみ込んでいます。
  天王寺さんあたりから千日前の道具屋筋、谷町の人形筋へ、旧浪花商人エリアですな。
 ezouはこの「練」の建物は、大阪の地の建物だと思っていましたが、実はこれ、大正末期に神戸の舞子より現在の場所へ移築されたものなんだとか。

Dscn1522  解体された建物は船に積まれ、大阪湾から東横掘川を経て陸揚げされ当地に移築され、完成までに6年の歳月がかかったそうな。
 この「お屋敷」の2階にあるカフェでくつろがして戴いた時に、懐かしさと共に妙な「お洒落さ」を感じたものですが、建物にも今流行の「品格」というものがあるのかも知れませんね。
 古い建物は、単に建材が老朽化しているモノであるだけでなく、そこには人の記憶や物語が蓄積されているように思えます。
 ふすまをさらりと開けてにこやかに現れた着物姿のお嬢さんは曾お婆ちゃんの若い頃の姿かも。

 カフェは「装和きもの学院」とShopの混合された空間になっているんですが、カフェのガラス窓の外に広がっている景色も、ビルが建ち並ぶ今の松屋町と煉が持つ庭や垣根が混在していてこちらも不思議な感じがします。
 その他「練」にはチョコレート専門店や和雑貨販売店など蔵や別棟を利用して様々な商業施設が入っていて、それら総てが一世紀近い時の流れを蓄えた建物の中に調和している所が素敵です。
 大阪にお立ち寄りの時にはお勧めのスポットです。
大阪・・ヨシモトとハシモトだけの街ではありません。

Dscn1580  さてこちら東近江は市原野の古民家カフェですが、厨房作りの為に、一部解体が進んで、床下がむき出しになって見えるようになりました。
 昔の木造家屋の土台作りは、書籍だとかテレビ映像などで何度か見たことがありますが、それを実際に見るとかなり衝撃を覚えますね。
 強烈な土の匂いと、そこに半分埋まりながら長年太い柱を支え続けた数個の大石。
 要するに地面の上に、家と言う頑丈な箱がのっかっているだけなんですが、脆いのかと言うとこれが(竹の原理で)そうでもない。
 かと言って懐古趣味に囚われて「昔の建物は今の建物より頑丈だ」と言うつもりはありません。
Hi390044  改装に、入っていただいている工務店さんにレザー式水平器を見せて貰ったのですが、レザー光線を射出すると柱や床の傾きが一辺に判ってしまう。
 まるでSF映画のワンシーンみたいですが、こんな器具を使いこなして進む現在の建築技術が、過去の技術より劣る筈がないと思います。

 古民家を再生していく上での考え方は、「古さを値打ちを認め新しいモノを取り入れていく」その辺りのバランス感覚が大切になってくると思われます。

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2008年4月10日 (木)

鬼太鼓座

Hi3900052_2  過日、鬼太鼓座の演奏を聞く機会があって、祝い太鼓をメインに日本文化の現在進行形の一端を堪能させて貰った。
 鬼太鼓座の名前自体は有名なので、その存在も映像や音もある程度は知っていたが、ライブで観賞するのは今回が初めての経験。
 ステージは、大きな櫓のトップに大太鼓、中段に大中様々な太鼓が仕掛けてあって、暗い会場にスポットライトの多用、高さとボリュームのある上手いショーアップだなぁと思わせるのだがよく考えると、この形式、「盆踊り」の櫓そのものである。
 賢いと言うか、人の考えること感じることは昔から同じなのだろう。
 時代の推移で違って来るのは「出来ること」が増えたり、アレンジの幅が広がるということだろうが、現代はその自由度の広さ故に、価値観を含めて色々なものが混濁していくマイナス面も出て来ることだろう。
 鬼太鼓座にしても、その活動が評価されたのは日本の古い芸能が持つピュアさ故なのだろうが、それが世界に通用するためには多種多様な価値観や他の文化も取り入れる必要があったろうから、矛盾を含みつつの「現在進行形」なのかも知れない。
 演奏自体は、会場が広かった為に、太鼓の音はマイクで拾われ大味に増幅されているし、先にも書いたがメディアに何度も取り上げられている鬼太鼓座だけに既知感も強く、新鮮なショックを味わうというワケにはいかなかった。
 やはり太鼓はその間近で叩く者の身体の躍動や体温や汗を感じ、太鼓の皮が響かせる空気の振動を感じてナンボのものかも知れない。
(もちろんそんな座席に座れていればこんな感想は書かなくてすむのだが)
 ただ吃驚したのは、バチの先端がばら鞭のような形状になったもので太鼓の面に打ち下ろすような演奏があって、これがジャズ(ブラシ)ドラムのようであったことだ。
  これには会場全体からホゥという驚きの混じった反応があった。
リズムへの親近感という点ではジャズドラムも和太鼓も今の日本人には大差がないというか、和洋ポップスに慣れ親しんだ世代が多くなった今では和太鼓のリズムの方が異端であり、それ故の驚きであったかも知れない。

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 写真は蕗の薹、食材として見かけるものは、この蕾の状態のもの。
  古民家の裏で妻がしつらえている庭に二つほど緑鮮やかにその顔を覗かせている。
 この庭には先代の持ち主が色々な植物をランダムに植えられていたようで、毎日、新しい発見があって面白い。
 くわえて庭自体が放置されていた期間が数年あったわけで、それを考えると改めて自生植物の強さを感じさせてくれる春先の芽吹きでもある。
 地上では季節の移り変わりでその姿を変えても地下では根を張り命を蓄えやがてくる春には芽吹く、、そんな文化や表現が本物なのかも知れない。

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2007年11月25日 (日)

「笑顔ふれあいチンチン電車」

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Dscn1404  刃こぼれを起こした中華包丁を研ぎ直して貰うために、散歩も兼ねて堺に出かけた。ezouの住む町から堺に出るには様々なルートがあるが、最後のアクセスに阪堺線を使うルートにした。
 阪堺線はezouの生まれ故郷を縦貫していることもあって、久しぶりに想い出に浸ってみるのもいいかと考えたからである。
 天王寺の近鉄百貨店前を始発にして堺方面に向かう一両編成の路面電車の車内には「笑顔ふれあいチンチン電車」の広告が、、、勿論、数十年前の広告にはこんなものはなかった。
 地元住民にとって阪堺線をチンチン電車と呼ぶのは極めて当たり前のことだったけれど、当の阪堺電気軌道株式会社自体は、自らをある種の安価さとノスタルジーを込めながら「チンチン電車」と自称するには、まだまだ抵抗があった筈なのである。
 今となっては阪堺線は、自ら名乗るとおり頭の天辺から爪先まで「笑顔ふれあいチンチン電車」である。
 秋の日差しが差し込む車両に揺られながら車窓から見える街並みや、バス停に毛が生えた程度の通過駅を眺める。
 東天下茶屋駅、駅の端には幼い頃に不思議な名だと思った「馬道」の字が刻まれた石のモニュメントがまだあった。
 ぐっと懐かしさがこみ上げてきて文字通り涙が出そうになる。駅の直ぐ側にある今にも壊れそうな昭和初期の木造家屋も記憶の片隅に引っかかっている。まだ壊れていない!!ちょとした衝撃だった。
 昔のチンチン電車には、操舵席のような運転ボードが前後にあり、空いている方でよく遊んだものだが、今、自分の乗っている車両にはそれがない。こんなチンチン電車にさえ、様変わりがあるというのに、、、。
 壊れやすいしもたやが数十年間も立て替えも増築も行われていないのだ。

 変わらないと言えば当たり前だが駅の名前もそうだ。駅名は記憶をつなぎ止めるアンカー代わりとして有り難い。
 小さい頃に遊んだ記憶と駅名が密接に繋がっている。親戚の家、お正月には必ず参った住吉さん、母に連れていって貰った浜寺公園、記憶に沈んだものが次々と浮かび上がってくる。
 大和川の駅を通過して驚く、この駅はこんなに川に近かったのか、、。実際、川の土手に唐突に出現する小さな壁と庇のみの駅は珍しいものだと思う。
 大和川は名前の割にはけちくさく、大きいくせに自然の一欠片もない川で、過去には何度も汚染度ナンバー1に輝いたことがある。でも初めてオタマジャクシを自分の手のひらで掬ったのはこの川だった。
 二十分程の乗車が終わる頃「顔なじみ今日も乗ってる阪堺電車」の広告を見ながら愛称であるチンチンの意味を考えてみた。
 降車を知らせる車内ベルを押すとチンチンとなるからか、遙か昔の記憶では路面の車への警報とかそんなものにもチンチンを使っていたような記憶があるのだが、、定かではない。
 包丁店のある「綾ノ駅」はezouの子どもの頃のなじみ深い記憶と土地との関係が途切れる場所だ。
 これより先の天皇御陵等は「旅行先」だったように思う。

Dscn1406  中華包丁の研ぎ上がりに満足して、包丁店を出た頃が丁度、昼飯前だったので「飯」が旨いと評判の「げこ亭」へ向かった。
 ネットでの下調べによるとげこ亭の店舗は、道路際の本店舗と、調理場に併設された小振り店舗の2軒あるそうなので、道路から奥まった方へ足を延ばしてみた。
 本店舗の場所は看板が凄いので迷うことは絶対にないだろう。(チンチン電車の車窓からもしっかり見える)本店舗の面構えが、いかにも回転の速い大衆食堂然としていたので、ゆっくり腰を落ち着けようと奥まった店を選んだのだが、誰も客はおらず、調理場で働いていた少年が顔を覗かせてくれて、丁寧に本店舗の場所を教えてくれた。
 どうやら2軒目は1軒目が満杯になった時点で稼働するようだった。
 本店に戻ってアルミ戸を引いて中を見渡すと、かなり広い。と同時に懐かしさで胸が一杯になる。
 そこには昔、どの街にもあった一膳飯屋の面影が、、ただしその面影は、店の大きさに合わせてWサイズなのだけれど。
 おかずが冷蔵ケースに棚置きされているのではなくて、大きなテーブルに平置きされているのには少し驚く。
 そのテーブルから、噂の「飯」の旨さを確認するために、天麩羅盛り合わせ・出汁巻き卵・大根下ろしをチョイスし、最後におばちゃんにわかめ味噌汁と中飯を注文する。
 箸を味噌汁に浸けながら店内の様子を見ていると先ほど入った小食堂で案内をしてくれたお兄ちゃんが大きなおひつを持って来たのが見える。
 調理場で飯の炊飯一筋というご主人が炊きあげたものなのだろう。
 飯は「うーん」と涙が出るほど旨いという訳ではないが、定食屋の飯としてはすこぶる上等だ。何か生意気な言いぐさだが、これが正直な感想である。
 最近の我が家の「飯」事情は、炊飯技術も米も極めてよく、そういう自分の「舌」の差があるのかも知れない。
 それだとか、竈炊を売りにしている定食屋が結構多くなっていると状況もは手伝っていることも上げられる。
 出汁巻きが旨かったが、これも料亭で出されるようなレベルではない、、でも定食屋さんなんだからあたりまえか。
 なまじっかマスコミ・口こみで有名だと「なんでも飛び抜けて旨い」という妙な幻想が生まれるので、一番迷惑しているのは当のげこ亭さんかも知れない。
 昼食を戴きながらしみじみ染み思ったのは、昔の家庭(昭和中期)ならコレぐらいの味のレベルは普通だったのではないかということだ。
 それぐらい人々の間に、料理を作る知恵や技術が広く定着していたという事だ。
 今の子ども達の大半の「手料理体験」は学校給食によって支えられているのではないかとさえ思う。
 米を洗いなさいと言われて洗剤で米を洗った若いお母さんの話は、笑い話でもなんでもなく、私たちの生活に浸透しつつあるのだ。
 一方、ハイレベルの中華料理の味が、レトルトパックに封入され、各家庭ではそれを買ってきた材料と共に鍋の中で炒め合わせるだけで、それが戴ける時代に突入した。
 村上龍が言った「なんでもあるのに、なんにもない国」が「食」という生命レベルの営みにまで浸透しつつあるということだろうか。

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2007年10月29日 (月)

街並み灯り路・五個荘

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 五個荘は、滋賀県の湖東平野の中部にあり、古くから中山道の要衝として栄えた土地だという。
 そして江戸時代に入ると俗に言う五個荘商人が台頭、天秤棒一本で大商人となった人々が築いた町並みの面影を、今でもこの町のいたるところで見ることができる。
 中でも金堂地区の白壁、土蔵、舟板塀が続く町並みは時が止まったようにも見え、そこにはなつかしい日本の風景がある。
 この五個荘で今年の9月に「街並み灯り路・五個荘」というイベントが実施された。近年、地方観光地の街並みライトアップはそう珍しくないものになって来たが、五個荘のように普段かなり静かな地域で、こういった催しが打たれるのには少なからぬ驚きがあった。
 駐車場が満杯になってしまうのを懸念して、日暮れ前に五個荘に入ったのだが、町の人々や関係者が慌ただしく直前準備に動き回る熱気が感じられて、かえって良かったかも知れない。しかし小径際に行灯を等間隔で並べていく事自体相当な手間だと思われた。
                                                        Dscn1328  又、街のライトアップだけに留まらず今回のイベントには様々な企画が催されていたようだ。
 例えば大きなお寺さんの構内に飾られた色鮮やかな抽象画がライトアップされ暮れなずんでいく商人町五個荘に不思議な異次元の窓を開けていたりとか。
 残夏の夕暮れの下、金堂通り等の催しのメインロードでは、灯籠に灯りが灯され着々と準備が終わりつつあり、地元の人達や観光客の表情に期待でほんのりと上気した色が見え始める。
 有名な鯉の泳ぐお堀際に三脚を立てて、ライトアップの完全実施を待って陣取っている沢山のアマチュアカメラマンの群、確かにここは絶好のロケーションだろう。

Dscn1361  日没までにはまだ少し時間があるようだったので夕食を摂ることにした。
 「めんめんたなか」は裏通り、五個荘という商人町が途切れて、滋賀という地方の田園風景が見え始める場所にある手打ちのうどん屋である。
 このうどん屋が位置する四つ角には時代劇でしかお目にかかれないような一メートルほどの行燈灯籠が立っていて、強烈な郷愁を誘っている。
 しばらく妻と二人で、自分たちの住む水中に墨をたらし込まれた金魚みたいな気分になりながら、人気のない五個荘の裏通りの町並みを眺めていた。
 確か、昔、我々の周囲にはこんな心を絞るような寂しい夕暮れ時があったんだと、暫く感傷に耽ってから重要文化財になっていそうな面構えのうどん屋に入った。
 旧家然とした座敷に案内されて膝をつき合わせながら二人で手打ちうどんを啜る。
 そしてファミレスの煌々とした照明とは正反対の陰影を持つ和室にくつろぐ。
暫くすると妻の肩越しに見える庭の灯籠に火が点った、、外はすっかり闇に覆われているのだろう。

 町内を流れる堀は天保川という名前らしい。中でも金堂町では、その堀の中に浮かべるようにフラワーデザインが設置され水中ライトによる幻想的なライティングが施されている。
 アートフラワーが水中からの光で自らの影を背後の白壁に落とす様は、ライトに凍り付いた花の色彩と相まって、観る者を幽玄の境地へ引き込んでくれる。
 さあこれから腰を据えて、ざっと下見をして置いたポイントを見て回ろうかと思い始めた途端、雨がぽつりぽつりと降り始めた。
 水面に雨粒が生み出す輪が暫く重なり広がって行ったかと思うと、やがて白濁した飛沫だけがその表面を覆いだす。
Dscn1354  天気予報では、雨とは一言もなかったので、にわか雨なのだろうが、それにしては、その勢いは本降りで空の様子はかなり重い。
 傘等、二人とも用意していなかったから、急いで退散した。
 残念な事は残念なのだが、それ程、口惜しくはなかった。
 9月の祭りに雨はつきもの。
 人の苦労も努力も、空模様の成すがままに、、そういった気分にさせる優しさがこの「街並み灯り路・五個荘」というイベントにあったからかも知れない。 












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